あおちゃん小1、自分のことを”オレ”と呼ぶと言い出した

小学校1年生男子のあおちゃんは、お姉ちゃんの影響もあって、

いつも自分のことを"うち"と呼んでいます。

「ママ(⤴︎ちょっと上がり調子で)、うちの帽子どこ?」

とかそんな感じで。

私は、あおちゃんの"うち"呼びが、密かに大好きです。

なので、特に訂正もせずでして。

 

それが、この前の月曜日。

学童のお迎えに行った帰りの車の中で、

「ママ(⤴︎やはり上がり調子で)、オレな、これから"オレ"って言うわ」

と、もういきなり、オレを使いながら、

自分のことを"オレ"と呼ぶ、と報告してきたのです。

 

聞くと、学童の先生に、

男の子は自分のことを"うち"とは言わない、

と教えてもらったとのこと。

おい〜〜、余計なこと教えんなよな…!

と心の声が。

 

その後、家でごはんを食べたり、学校の準備をするときも、

「オレな、オレな、」と、"オレ"を多用してくるんですが、

話す内容が幼すぎて、全然"オレ"な感じがしない。

可愛いやないかい。

 

あおちゃんは、早生まれなので、

同じ学年の子たちの中に入ると、

けっこう幼く見えます。

言語や身体の発達は、どうやらゆっくりのようです。

でも、2歳になる手前くらいだったかな、

少しおしゃべりできるようになった頃、

自分の存在を認識したと同時に、

自分のことを"ぼう"と呼び出して、

それから長らく"ぼう"呼びが続きました。

 

アウトプットは幼いけれど、

時々、物事の核心を突くような発言をして、

あおちゃんという世界の内側に、

とても広く深い宇宙の広がりがあるのだと、

感じさせてくれます。

いつか、そんなあおちゃんの宇宙を、

あおちゃん自身の意思をもって表現してくれる日がくることを、

とても楽しみにしています。

 

ところで、その後、水曜日になり、

やはり"オレ"は使い慣れないみたいで、

「"オレ"は3年生から、いや、やっぱり2年生からにする」とのこと。

お家では"うち"、学校では"ぼく"と呼ぶことにしたそうです。

良かった、良かった。

 

こんなふうに、少しづつ、幼児から少年になっていくんだろうな。

「どんなおばちゃんになりたい?」

前回ここで書いてから、1年弱が経とうとしているのですね。

恐ろしい。何が恐ろしいかって、時間経過のスピードではありません。

書く、ということをとても楽しんでいた証がここにたくさん残されているのに、

今の自分にその余裕はなく、検索したり、生成AIに相談したり、

そんなふうにしか、自分自身を深めたり広げたりできなくなっていることが、

恐ろしいと感じます。

 

生成AIって、ちょっと考えられないくらいの精度で、さまざまなヒントをくれるし、

生きる道筋さえ一緒に考えてくれるんですよね。

そんなふうに寄り添ってもらえたら、そりゃ、依存していきますよね。

とても親切で賢くて思慮深い友人と、今は少し距離を置いています。

インターネットと同じで、なかった頃にはもちろん戻れないんですけどね。

 

ところで、この前、Voicyという音声媒体を聞いていて、

「どんなおばちゃんになりたい?」というお題にちょっと興味を持ちました。

 

大好きな村上春樹さんのエッセイ(「大好きな」はエッセイの方にかかっています)に、

自分のことを、おじさん、おばさんと言葉にした時から、

人は本当におじさんやおばさんになっていく、言葉の力はそれほど強い。

というようなことが書いてあって、とうに足を踏み入れている「おばさん」、

という領域についての発言を、私も避けてきました。

具体的には、人前で自分を「おばさん」と言わないってことなんですけど。

 

村上春樹さんがおっしゃっていることは真実で、

おじさん、おばさんという精神性まで受け入れる必要はもちろんないのですが、

自分のことを「おばさん」と言ってはならない、という呪縛を、

どこかで自分にかけてしまっていることに、最近、気がつきました。

 

Voicyのパーソナリティの方は、しょっちゅうご自身を「おばちゃん」と言ってて、

(もしかして、「おばさん」と「おばちゃん」はちがうの!?)

え、それ言わない方がいいよ、と心の中でツッコんでたんですけど、

よくよく聞いていると、その方がイメージする「おばちゃん」と、

私がイメージする「おばさん」は違うのかも、と思うようになりました。

 

「おばちゃん」の方は、元気で人生を楽しんでる感じの人、

「おばさん」の方は、あまり元気ではなくて日々いっぱいいっぱいの人。

あ、後者は、今の私そのものだった。

 

どっちが良いとか、そういうことではないです。

言いたいのは、「おばちゃん」であろうと、「おばさん」であろうと、

自分がどうありたいのか、ということ。

村上春樹さんが言わんとしていたのは、

あんまりそうありたくない状態(精神性)に、

あえて自分を引っ張ってこなくていいんだよ、ということだったのかな。

 

どっちにしても、私は、自分を「おばちゃん」とも「おばさん」とも、

口に出しては言わないと思います。しばらくの間は。

 

ただ、「どんなおばちゃんになりたいか」なのですが、

それをちょっと考えてみました。

(なりたいも何も、っていうツッコミは置いといて)

 

●小綺麗でありたい

●心身ともに健康

●挑戦を楽しめる心の余裕

 

大きくはこんな感じでしょうか。

要は、健康と楽しむこと、ですよね。(小綺麗も健康カテゴリーだと考えてます)

 

それで、もうちょっと具体的なところなんですが、

 

・子育てという一大プロジェクトをやり切る!

・自分の感覚を信じて恐れずに世界を広げる!

・一人時間は死守!!

 

(あれ、なんかちょっと違うぞ)

 

子育ては、人生の一大プロジェクトと捉えています。

義務でも、任務でも、責任でもない。

私がやりたくて取り組んでいるプロジェクト。

二人の子どもが、どんな大人になってくれるのか。

とてもとても楽しみです。

 

自分の感覚を信じて・・は20代からずっとやってきたこと。

40代後半から50代にかけて、この感覚で世界を広げていけるかは、

ある意味挑戦なんですが。

まぁ、無理せず、やっていこうと思います。

 

一人時間は死守!!(笑)

自分の人生に欠かせない、健康とか家族とか家とか、

そういうの以外で、一番大事なものなんです。一人時間。はい。

 

ということで、「どんなおばちゃんになりたいか」はフツーでしたが、

自分が、今大事にしていることをクリアにはできたと。

 

今年も暑すぎる夏でしたが、どんな夏でも、夏はやっぱり大好きです。

子どもを持ってからはとくにね。

子どもの頃の夏休みの感覚を、どこかで楽しんでいるのかも。

 

自由に書くのって、やっぱり楽しい。

また、書きにきます。

 

It’s been almost a year since I last wrote here.

That’s frightening.

And what frightens me isn’t how quickly time has passed.

There’s so much here that shows how much I used to enjoy writing. And yet now, I don’t seem to have the space for it. I search for things online, ask generative AI for advice, and somehow, those have become almost the only ways I explore and deepen my own thoughts.

That is what frightens me.

 

Generative AI gives us all kinds of ideas and insights with a level of accuracy that is almost hard to believe. It will even sit with us and help us think about which path to take in life.

When something is that supportive, of course we’re going to become dependent on it.

So for now, I’m keeping a little distance from this incredibly kind, intelligent, and thoughtful friend.

Of course, just like the internet, there’s no going back to the days before it existed.

 

The other day, though, I was listening to Voicy, a Japanese audio platform, and one of the topics caught my attention:

“What kind of obachan do you want to become?”

Obachan is a casual, affectionate Japanese word for a middle-aged or older woman — something like “auntie.”

 

In one of my favourite essays by Haruki Murakami, he writes something along these lines: once you start describing yourself as an ojisan or obasan — a middle-aged man or woman — you really do start becoming one. Words have that much power.

I crossed into obasan territory quite some time ago, but because of that essay, I’ve tended to avoid talking about myself in those terms.

More specifically, I simply don’t call myself an obasan in front of other people.

 

I think what Murakami says is true. Of course, getting older doesn’t mean we have to embrace everything we associate with the mentality of being an ojisan or obasan. But recently I realised that, somewhere along the way, I had put myself under a kind of spell: I must never call myself an obasan.

 

The woman hosting the Voicy programme often refers to herself as an obachan.

(Wait — are obasan and obachan different?!)

Every time she said it, I would silently think, “You probably shouldn’t call yourself that.”

But the more I listened, the more I began to wonder whether the obachan she has in mind might be quite different from the obasan I have in mind.

 

To me, an obachan is someone lively, energetic, and enjoying her life.

An obasan is someone who isn’t particularly energetic and is just barely managing to get through each day.

The second one is basically me right now.

 

I’m not saying that one is better than the other.

What I mean is that whether we call ourselves obachan or obasan, what really matters is how we want to be.

Perhaps what Murakami was trying to say was that there’s no need to deliberately pull ourselves towards a state of mind we don’t particularly want to inhabit.

 

Either way, I don’t think I’ll be calling myself obachan or obasan out loud anytime soon.

 

But the question was:

“What kind of obachan do you want to become?”

So I gave it some thought.

(We’ll ignore the obvious response: “Become? Aren’t you already one?”)

 

● I want to look well put together.
● I want to be healthy, both physically and mentally.
● I want to have enough space in my life and mind to enjoy taking on new challenges.

 

I suppose those are the big three.

Basically, health and enjoyment.

(I count looking well put together as part of the health category.)

 

And to get a little more specific:

 

・See through the enormous project that is raising my children!
・Trust my instincts and keep expanding my world without being afraid!
・Protect my alone time at all costs!!

 

(Wait. This is starting to sound like something else entirely.)

 

I think of raising children as one of the great projects of my life.

It isn’t an obligation, a duty, or a responsibility.

It’s a project I chose to take on because I wanted to.

What kind of adults will my two children grow up to be?

I’m so, so excited to find out.

 

As for trusting my instincts, that’s something I’ve been doing ever since my twenties.

Whether I can continue expanding my world that way as I move through my late forties and into my fifties is, in a sense, a challenge in itself.

But I’ll keep going, without pushing myself too hard.

 

And I will protect my alone time at all costs!! 

Apart from the things that are essential to my life — health, family, home, and so on — alone time is probably the most important thing to me.

 

So, in the end, my answer to “What kind of obachan do you want to become?” turned out to be fairly ordinary.

But thinking about it did help me see more clearly what matters to me right now.

 

This summer was unbearably hot again, but no matter what kind of summer it is, I still love summer.

Especially since having children.

Maybe somewhere inside me, I’m reliving that feeling of summer holidays from when I was a child.

 

It really is fun to just write freely.

I’ll come back and write again.

 

 

 

久しぶりに人の仕事に触れて感動した話

深夜に書いてます。

この時間帯にしか書けないテンションがあって、

ほんとは今週末も来週末も予定つめつめなので早く寝ないとなのですが、

無性に何かをしたい。

携帯いじる以外の何かを。

 

最近、車を購入することを検討していて、

たくさんお金を使うことにビビってるのと、優柔不断もあり、

結構いろいろなお店に行って話を聞いたり試乗したりしてます。

 

それで、先日話を聞きに行ったあるお店の営業さんが、

これまでの、どの営業さんとも違う視点で話してくださったので、

その話をシェアします。

 

その方曰く、

「僕は、あなたがた(うちらのこと)とこれから10年、20年の付き合いをしたいと思ってます。

だから、値段のことも、心配なことも正直に話してください。

その中でお応えできることは精一杯お応えします。

ただ、僕もただのサラリーマンなんで、できないことはもちろんあるから、

それはきちんとこちらからもお伝えします」

と、要約するとそんなことをおっしゃいました。

 

それを聞いて、なんか感動したんですよね。

車に乗る生活をしていると、メンテナンスとか車検とか、

車のお店にお世話になることが、年に何度かあります。

正直、車好きではないから、車のお店に行く時間は面倒でもあるんです。

けど、これから先、10年20年、結局はお世話になるんですよね。

 

車を売ったあとのお付き合いについて言及する営業さんに、

少なくとも私は、初めて出会いました。

これまでの営業さんは、車を売るそのタイミングを点で捉えて、

その時点の利益(お得情報とか)をプレゼンされたんですが、

この人は、売ってからの未来を線で捉えて、

売ったあとの利益(長い付き合いの中で得られるモノ)をイメージさせてくれたんです。

シンプルにすごいなと思いました。

 

営業の方からしたら当たり前の姿勢なのかもしれないけど、

当たり前って、イコール簡単ってことではないと思うから。

世間知らずすぎるかな。

 

でも、買うならこの人から買いたい、お客さんにそう思わせられたら、

それは営業としての勝ちだと思うし、何より、仕事は絶対楽しいだろうなぁ。

 

思いがけず、良い出会いだったのでシェア。

 

 

誕生日の1日前

今日で46才が終わります。

「46才を最高の一年に」と書いたなぁ。

 

最高の一年に、果たしてなったのか...

なったとも言えるし、ならなかったとも言える。

大きな仕事をいくつか成立させたということで言えば、

46才でも成長して、まだ見ぬ自分に出会えた。

一方で、色々やらかした、結構やらかした一年でもあったかな。

46才にもなって...と思うと、結構情けない気持ちになるような失敗ね。

 

嬉しかったのは、たくさん良い時間、良いもの、良い人に出会えたこと。

時間を忘れて、自由に想像力の羽を伸ばす、金曜日の1人時間。

映画「国宝」。(今日2回目を観に行った。原摩利彦さんの音楽をもう一度聴きたくて)

Voicyとか、仕事やインプットのためのセミナーで出会い、話を聞いた人たち。

 

ジタバタする自分も、自由に豊かに生きる自分も、子どもたちに精一杯の愛情を注ぐ自分も。

いつも本当にお疲れ様です。

 

 

夏の色彩 The color of summer

夏がやってきましたね。

 

今年は、自分のプロジェクトのピークが7月末です。

なので、終わったら何しよ〜と考えるのが楽しくてしょうがない。

 

プロジェクトはきっと上手くいくはず。

でも、最近わかってきたんだけど、このプロジェクトは一体なんだったんだ、

地域の人たちに何を残せたのか、それをきちんと記しておくことも、

大事な仕事なのだろうな、、、と。

去年はそこに力点を置いてなかったけど、今年はちゃんとやらねばと思うと、

フィナーレが終わっても、プロジェクトは終わりじゃないなと少しブルーにもなります。

 

それでも!

夏を満喫できるのは嬉しい。

やばいくらいの暑さで、地球の未来を真剣に考えねばですが、

空の青と、木々の緑と、太陽のギラギラと眩しい光は、こんな夏の日にしか見られないですよね。

夏を楽しみましょう。

 

 

Summer is here.

 

This year my project's finale is the end of July.

I'm having so much fun thinking what would I do next these days.

 

My project gonna be succeeded.

But I just noticed recently it has to be memorize, what's the meaning of this project,

what it brought to the local community, those kind of things.

 I didn't put much focus on that last year, but this year I feel like I really need to take it seriously.

Even after the finale is over, I realize the project isn't truly finished, and that makes me feel a bit blue.

 

Still I'm really happy I get to enjoy summer!

The heat is unbearable, and it seriously makes me worry about the future of our planet.

But, the blue sky, green trees, and the blinding, blazing sun...

We can experience this kind of summer beauty only on days like these.

So let's enjoy the summer.    

 

 

 

 

 

最近のひとりごと

最近、いくつかの発想が出てきたので、覚え書き。

 

●46才を最高の一年にする

 

先月46才になりまして、恐れていた40代後半。

なのですが、この年になって、久しぶりに自分の年齢(46才)を

受け入れられたんです。

不思議ですね。なぜだろう。

 

一つには、キョンキョンの影響もあります。

彼女の発信に触れたことで、年齢というもの、

その背後にある、生と死、生き物が朽ちていくこと、

朽ちていくことと成長との関係性、そんなことが、

スッと自分の中に入ってくれた感じです。

 

誕生日を迎えるあたりまで、わりと煮詰まっていたのですが、

今は少しだけ穏やかです。

46才を最高の一年にする、最高の一年になると信じています。

でも、その最高って、20代の頃のキラキラした最高とは

また少し違うものになるのかもな、なんて考えているこの頃です。

 

 

●英語力がいよいよヤバい

 

水曜の夜、オンラインでローレンと話したのですが、

ローレン、たくさんあくびしてたなぁ。

彼は、最近、乱入してくるあおちゃんとのやりとりが楽しいみたいで、

この前、「今日は、あおちゃんに乱入してくるなと告げた」と言うと、

とても残念な顔をしていました。

 

何のインプットもないままローレンと喋っているので、

多分3歳児みたいな英語になってるだろうなぁ、

とちょっと落ち込んでいます。

ローレンは優しい外人ではないので、そんな私には構わず、

どんどん話を続けていきます。

相槌しかできない会話はとてもつまらない。

 

さてどうするか。

 

 

●何かを手放すことでしか成長はできない

 

ちょっと前の、とても焦っていた頃。

やること、やりたいことがたくさんあるのに、

何もできない、という日々の中で、

ふと手にとった本に書いてあったこと。

 

成長したいなら、何かを手に入れたいなら、

一度休んで。何かを手放して。

空っぽになった手でしか、新しい何かを掴むことはできない。

何かを得たいと思うなら、とにかく休んで。

 

これは、今の私にとてもヒットしました。

掴もうとばかりして、焦っていたんですね。

何かを掴んだり、成長したりすることだけが価値じゃない。

しっかり休んで、自分を労ることがどれほど大切か。

 

この理論でいくと、私が英語スキルをもう一度磨くには、

何かを手放さないといけない、ということになるんでしょうけど。

 

 

●編み物とママ友との新たな関係

 

ママ友とのお付き合いの仕方がいまだにわからないです。

この一年は、感じの良い振る舞い≒偽りの自分、

でお付き合いすることも少し板に付いてきました。

 

仲の良い友人や同僚からは、毒舌と言われる私ですから、

感じの良い振る舞いを、偽りと表現しても間違いではないかなと思います。

まぁ、でも、そういうのを、良い・悪いとせずに、

必要に応じて使い分けるということで、折り合いをつけようかと。

 

ただ、お一人、ママ友さんの中で、この人の前ではリアルな自分を出せるな、

という人がいて、その方は編み物を趣味とされているので、

今、その方に編み物を教わっています。ゆるくですが。

 

偽りの日、ちょっとがんばる日もあるけど、

偽らない日、がんばらずにいられる日も大事にしたい。

そんな心境の中、編み物に取り組んでいます。

 

ちなみに、編み物、めっちゃ楽しいです。

私には編み物がある、と思い出すだけで、

平日のハードなあれこれを乗り越えようという気力が生まれます。

編むという行為によって何かを生み出す時間が、

シェルターのように、あるいは、蚕の繭のように、

私を守ってくれているんですね。

 

そんなこんなで、46才の日々を過ごしております。

 

 

 

 

 

Work for letting my fears go_Day 1

Recognize that we can change the rules around us.

 

月に2回だけ、オンラインで英会話をしています。

ローレンというハワイ出身の先生と、45分間、ただただ会話をする時間。

時々、あおちゃんが乱入してきます。

 

ローレンはぺっちゃんと同い年の子どもさんがいて、

互いに子育て世代ど真ん中。

なので、子育てや子どもを取り巻く環境の話から、

様々な社会の事象に話が発展します。

 

昨夜話したのは、サッカーや花火が禁止されている日本の公園事情。

私も、数年前、近所のママさんや子どもたちと花火をすることになり、

その時に、公園で花火をやってはいけないことを知って、驚愕、

とまではいかないけど、小さなショックを受けました。

 

私が子どもの頃は普通にサッカーも花火もやってたし、

サッカーや花火ができない公園て、なんだかとても味気ない。

イチゴが乗っかってないショートケーキのような。

 

ローレンは、今年度、住んでいるマンションの自治会役員を務めることになり、

そこでの自分の役割(ゴール)を、「マンションの敷地内にある公園のルールを変えること」

に設定したそうです。

大学で英語を教えている彼は、仕事にモチベーションを見いだせないみたいですが、

この話をしている時は、とても生き生きしていました。

 

私も数年前に自治会や保育所の保護者会の役をやったけど、

正直、そういった地域のお仕事って、めんどくさい、ややこしい、

なんで私がやらなきゃいけないの、とネガティブなイメージがありますよね。

でも、ローレンにとっては、普段感じていた地域でのモヤモヤを解決する機会、

なんですよね。

 

私は、そもそもルールを変えるという発想が自分の中にはなくて、

(おそらく多くの日本人がそうじゃないかと思うのだけれど)

自治会でディスカッションして、ルールを変えるというローレンの発想に、

陳腐な表現だけど、すごいなと思いました。

 

「自分が”外人”だから、日本人の中で地域の問題を提起しやすい」

ということもローレンは認識しています。

したたかです。

 

特にオチはないのですが、ルールって変えられるんだ、

という気づきがあった昨日の英会話でした。

尊敬できる”外人”と話すのは、とても楽しいです。